第96回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高野連主催)第4日の21日、京都国際は第3試合(1回戦)で青森山田(青森)と対戦し、3―4で敗れた。序盤からリードされる苦しい展開の中、終盤に一度は同点に追いつく粘りを見せたが、最後はサヨナラ負け。前日の京都外大西に続き、府勢の初戦突破はならなかった。それでも選手たちは最後まで全力で戦い、アルプススタンドを埋めた応援団からの大きな歓声に応えた。【矢倉健次、水谷怜央那、江沢雄志】
小雪や雨が降ったかと思えば、明るい春の日差しがグラウンドを照らし、めまぐるしく変わる天候の下で試合は始まった。
マウンドには、甲子園の地元である兵庫県西宮市出身のエース、中崎琉生主将(3年)が上がった。「小学生の時から球場に通い、絶対ここで投げると言っていた」という母園子さん(49)と父政則さん(49)はアルプススタンドから、落ち着いた表情で見守った。しかし、先頭打者に四球を与えたのをきっかけに、3連打を浴びて2点を先制された。
打線もなかなか好機をものにできなかったが、四回には先頭の藤本陽毅(3年)が内野安打で出塁。高岸栄太郎(3年)が安打でつなぎ、長谷川颯(2年)の適時内野安打でようやく1点を返し、1点差に迫った。
しかし五回、テンポよく相手打線を抑え始めていた中崎がまたしても先頭打者に四球を与え、適時打で3点目を奪われてしまった。
悪い流れだったが、2年前のセンバツを新型コロナウイルス禍で辞退した際のベンチ入り予定メンバーだった、OBの石田紘大さん(19)は「自分たちの分まで、なんとか勝ってほしい」と諦めずに声援を送る。
その思いが通じたのか、八回に好機をつかむ。1死二、三塁から敵失と、相手の一瞬の隙(すき)を突いた重盗で2点を奪い、ついに追いつく。鮮やかな同点劇に、スタンドを埋めた保護者や生徒たちからは大きな歓声が上がった。
さらに得点圏に走者を置いたが、後続に「あと一本」が出ず、流れを引き寄せきれなかった。
九回、力投を続けていた中崎も110球を超えて球威、制球に陰りが見え、1死から三塁打を打たれた。マウンドにしゃがみ込んで集中力を高め、勝負に出たが、次打者の初球を左前に運ばれ、サヨナラの走者が本塁を駆け抜けていった。
それでも、今大会ここまでで屈指の好試合だったことは、スタンドの盛り上がりが証明していた。3月末で退任する朴慶洙(パクキョンス)校長は「よい試合を見せてもらった。さまざまな思い出を作ってくれた野球部に、ありがとうと言いたい」とほほえんだ。
うねる「赤」先導 応援団長・山本さん
一塁側のアルプス席を赤色に染め上げた応援団をまとめたのは、野球部員の山本新之助さん(3年)だ。2023年6月に新型コロナウイルスに感染して以降、発熱や頭痛の症状が収まらず、チームを約半年間離れた。寮を離れて自宅で療養していた山本さんにチームメートは「秋の大会で甲子園を決めてくる。待っている」と声を掛けてくれた。
24年1月、チームに合流して徐々に練習を始めた。そしてセンバツ出場が決まった後、宮村貴大・野球部長から応援団長を任された。「療養中は仲間から元気をもらった。甲子園ではエールを送り、恩返ししたい」。元気いっぱいの大きな声でナインを後押しした。
■熱球
次は自分が支えに 藤本陽毅選手(3年)
ベンチ入りした選手20人の中で唯一、2年前の夏の甲子園に出場した。「先輩たちに引っ張ってもらって付いていっただけ。楽しすぎで(1回戦で敗退した)試合はあっという間に終わっていた」
その貴重な経験を生かしてチームを引っ張らないといけない立場だったが、昨秋は府大会の途中で急病になり、約1カ月もチームを離れた。チームメートは「藤本と甲子園へ行こう」と団結し、ようやくセンバツにたどりついた。
この日は「スタンドを見回し、支えてもらったみんなのために頑張ろうという感謝の気持ちをスイングに込めた」。四回は内野安打で出塁し、チーム1点目のホームを踏んだ。六、八回には2打席連続二塁打を放ち、自らの機転の利いた走塁による重盗もあって一度は同点に追いついた。守備では遊撃への難しいゴロを難なく処理し、思う存分、聖地を駆け回った1時間52分だった。
次の目標は「中崎に頼りっぱなしのチームから脱却する」。誰もが認める野手のリーダーへ。また厳しい練習の日々が始まる。
〔京都版〕